1953年に出版された『我が輩の猫は旅に出る』山吹清著 / 高山書房
猫エッセイのはしりと言える内容で、3匹の猫とともに日本全国を旅行した様子を写真と文章で綴ります。
富士山など名所を背景に、猫が可愛くポーズ。
「今日は名古屋城でポーズにゃん。しゃちほこの顔真似するにゃん」
ポップな文章と可愛らしい写真は、だいぶ時代を先取りした内容。
終始おだやかでラブリーなフォトエッセイが展開し、本編は終わります。
さて、本題のあとがきについて。
あとがきは、こんな一文で始まります。
「それにしても、猫は畜生である」
え?畜生?
不穏な出だしですね。その後、こう続きます。
「畜生たる猫は人間のいうことを聞かず。撮影でも相当苦労した。例えば本書24頁の写真。猫が右手を挙げている様を撮影せねばならなかったのだが、いつまでも右手を挙げず、いたずらに時間が過ぎるのみ。しびれを切らした我々は、強引に猫の右手を挙げさせ、ガムテイプと定規で裏から固定した」
今だったら炎上間違いなしのとんでも無い告白です。
完全に動物虐待です。
「いうことを聞かぬ畜生にはげんこつが一番良い。猫の頭をごつんと殴る。そして首根っこをおさえ、しかるべき間合いで撮影するのである」
「ぎゃーぎゃーわめく猫の口にもガムテイプ。いつまでもきんきんと鳴かれてはかなわない」
こんな文章が続きます。
本編とは真逆の、胸糞でひどい内容です。ページをめくるたびに気分が悪くなる。
ところが・・・
最後の最後の一行で、すべてがひっくり返る驚愕の一文が現れます。
もう本当に腰を抜かすような、とんでもない一行。
その一行を読んだとき、最初はただただ驚くでしょう。「え?え?」と激しく戸惑うはず。
冷静にその文章が読めるまで、少し時間がかかると思います。
気持ちが落ち着いて、一文を改めて読んだとき、「ああ、そういうことか・・・」と、ようやく理解できるでしょう。
感動の涙がながれ・・・いや、そんな安易な表現では言い表せない。
腹の底から号泣したくなるというか、なんかもうわけのわかんない感情が押し寄せてきます。
猫に対する深い愛情はもちろん、すべての生き物、生命への尊敬を感じる一行で。
著者がなぜ猫を選んだのか、なぜこの本を書いたのか、それが分かったときの感涙は言葉で表現できません。
たった一行で全てが大逆転する。
並みの推理小説を超える興奮もあります。
名だたるミステリー作家でも早々には書けない。
本を閉じた後は、しばらく放心状態かもしれません。
たった一行なのに、あとがきなのに、何百冊もの本を読んだ後のような虚脱感が。
後に、もう一度最初から読まなければ、と思うはず。
最初から読みたい、ではなく、読まなければ、という義務感です。
二回目の本編は、一回目とは違う気持ちで読めます。
二回目のあとがきは、これは非常に不思議なのですが、一回目とほぼ同じ感想を持つでしょう。
そして二回目の最後の一行は、一度目より深い感動を味わうはずです。
ゆっくりと真実をかみしめ、深いため息とともに、生命への感謝を思うでしょう。
最高のあとがき、至高の一行。
1955年を最後に再販はされていません。
検索しても情報は出てこないようです。
古本屋で見つけたら、ぜひぜひ購入をおすすめします。
『我が輩の猫は旅に出る』山吹清著 / 高山書房 1953年刊