本能寺の変・真相最新版!「明智光秀のミスで起きた事故だった!?本当は信長を救援するはずだった!」

私の祖母が明智光秀関係者で本能寺の変の真実も知ってる。書いていい?
あれは光秀のミスなんだよ。
本当は織田信長の命を受けて信忠を倒す予定」だったの。信忠が謀反起こすっていう情報が信長に入ったからね。信長は大急ぎで光秀に救援頼んだ。光秀は信忠を倒すために本能寺に向かった。

 

でも間違えて信長殺しちゃったの。光秀は超焦りまくりで自害考えたんだけど「やっちゃったもんは仕方ない。ワイが天下取る!」て開き直ったの。それが真実。

 

「信長と信忠の親子仲が悪い」は証拠あるよ。本能寺の変当日も、信長は「この夜襲は信忠だ!」て叫んだんだよ。
桔梗紋を見た信長は安心しただろうね。「予定通り光秀が救援に来てくれた!これで助かる!」と。
でも光秀はミスって信長を攻撃しちゃった。
陰謀とか黒幕とか一切ないよ。完全に明智光秀のミス。詳細書くね!

 

本能寺の変真実、詳細

信長が「100%信頼できる人」は当時いなかった。
家臣の羽柴秀吉柴田勝家、同盟者の徳川家康、息子の信忠。皆いつ裏切りがあるやもしれず、常に疑心暗鬼だった。かと言って、疑わしい人間を簡単に暗殺することもできない。
何の証拠も無いのに秀吉を暗殺したら、有能な部下を失うだけになる。他の武将に猜疑心が出て、謀反の連鎖も起こるだろう。
単に不安というだけで一方的に部下や同盟者を殺せない状況にあった。

 

裏切りを念頭に入れつつ、一方で有効に使いつつ、「是々非々」で家臣達と接するしか無かった。

 

ただ1人、例外的に信長が全幅の信頼を置いていた人物がいた。それが明智光秀である。
信長は光秀に「家臣の裏切り」について日々話をしていた。「この武将は裏切るかもしれない。もし裏切ったらこう対応する」と。秀吉、勝家、家康など、全ての有力武将について「裏切りに関する情報」を共有し、「もし裏切ったらこう対応する」と事前に話していた。

 

信忠も「有能だが常に謀反の不安がある」家臣の1人だった。実の息子とは言え100%の信頼は無かった。

 

変の流れ

5月29日。本能寺に信長と信忠が入る。信長の元に「信忠が謀反を起こす」との情報が入った。信長の選択肢は「逃げる」か、「信忠を襲撃する」か・・・そのどちらも難しい状況だった。信忠の兵力を把握できなかったのである。もし大軍が控えていたら、逃げることも襲撃することもできない。信忠に同調する武将はいるのか?既に大軍が移動しているのか?詳細が全く不明である。

 

信忠謀反の情報を得つつも、信長は動けなかったのだ。
(本能寺には親王を含め公家衆が多数いたので、戦場になる可能性は低く、その場に留まるメリットもあった。)

 

信長は即座に光秀に文を送った。
「信忠が謀反を起こす。急ぎ本能寺に来て信忠を討て」と。
事前に裏切り対応について密談を重ねていたので、光秀はすぐに動けた。
本能寺に向かい、信忠を討つ予定だったのだが・・・。
間違って信長を討ってしまった(笑)

 

間違えて主君を討つという、とんでもない大ミス。しかし光秀のみを責めることはできない。信長からの指示は「本能寺を囲み、適宜信忠を討伐し、適宜私(信長)を逃せ」という曖昧なものであった。作戦も不明瞭で、末端の士卒まで指示は行き届いていない。混乱を招く指示をした信長にも非があろう。

 

信忠謀反の報を聞き、焦って浅はかな行動を取った信長の自爆ともいえる。「親王の御前で狼藉は働くものはいないだろう」と慢心し、少ない供回りで信忠と共に本能寺に入った非もある。

 

信長の慢心と焦りが光秀のミスを引き起こし、本能寺の変が起きたのだ。根本原因は信長にあるとも言える。

 

変後の光秀

さて、光秀である。主君を間違って殺すという致命的なミス。光秀の精神の動揺は凄まじいものであったが。
なんとか冷静になり今後どうすべきかを考えた。

 

1.ミスを認めて公言するか
2.何も言わず自害するか
3.謀反ということにして突き進むか

 

突き詰めればこの三択しか無い。

 

「間違えて信長様殺しちゃった(笑)本当は信忠殺すはずだったんだよ。マジで。信じて」
ミスを公言したとして、誰が信じるだろうか?
仮にミスを信じても、「しょうがないね☆」と味方になる者はいるだろうか?
信長配下の武将に討たれるのは間違いない。
ミスの公言は、すなわち死である。

 

「ミスを認めて公言」と「自害」は同じことで、家族もろとも滅亡する道である。

 

生きる道は「謀反ということにして突き進む」しか無かった。
幸い、「謀反として成立するかもしれない」状況にあった。有力家臣は地方に離散し、中央は光秀しかいない。「開き直ってダメ元で天下を取る」行動に出た。以上が本能寺の変の真実である。

 

秀吉の中国大返し成功の理由

「信長が光秀を信頼し、他の武将を監視させていた」は史実に残っている。
信長が特に裏切りを警戒していたのは家康と秀吉であった。

 

・家康の饗応役
・秀吉支援の派兵
これらを光秀に命じたのは「家康と秀吉を監視するため」であった。

 

秀吉は「信長様が私を疑っていて光秀に監視させている」ことを薄々気づいていた。毛利攻略支援のために光秀が来ることになっていたが、「ひょっとしたら光秀が攻めてくるのではないか」と警戒していた。用済みとなった秀吉を殺すため、信長の命を受けた光秀の大軍が攻めてくるのではないか、と。

 

秀吉は警戒感から光秀の動向を常に探っていた。
間者を大量に配置していたため、光秀の大軍が本能寺に向かったのも早めに知れた。
「おそらく家康を討つのであろう。いずれにしても中央は混乱する。毛利との和睦も検討し動乱に備えるべし」と考えた。

 

中国大返しが成功した理由はここにある。光秀が間違って信長を討つ、ことまではさすがに予想していなかったが。
状況からみて「光秀がミスをした」可能性も考慮できた。確信が無いなりに、光秀討伐へと動き、成功した。

 

光秀生存説=光秀の名誉回復運動の名残。

徳川の時代になると、「光秀は単にミスをしただけではないか?ミスの根本原因は信長の慢心といい加減な指示にある。光秀にのみ責めを負わせるのは違うのではないか」、という動きが一部で活発化した。

 

状況証拠が次々と見つかり、おぼろげながら真実も見えてきたのだ。
しかし確実では無い。光秀のミスを堂々と話すわけにもいかない。
そこで「真実をほのめかす」形で、建造物や書物の制作が行われた。

 

「天海=光秀説」、「明智平」、「比叡山の石碑」
これらは全て「ミスの根本原因は信長で光秀は悪くない」=「光秀の名誉回復」を秘密裏に流布するためであった。

 

特に重要なのが「かごめかごめ」の歌である。
光秀生存説を暗示する童謡として既に知られているが、この童謡こそ本能寺の変の真実を完璧に示唆している。

 

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かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる 
夜明けの晩に 鶴と亀が滑った 後ろの正面だあれ?
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信忠の謀反、信長の慢心、光秀のミス・・・。
本能寺の変の真相が的確に示唆されている。
後日詳細を書きたい。

 

*過去にTwitterやnoteに投稿したものを自主転載しています。